2019年5月 5日 (日)

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端午の節句ということで、八幡太郎・源義家。



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2017年5月28日 (日)

武蔵御嶽神社に行ってきた

今年の連休最終日に、武蔵御嶽神社を詣でて来ました。
行ってみたらとても面白かったので、漫画にしました。
興味を持たれた方は是非、実物を見に行ってみてください。


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2017年3月31日 (金)

更新が滞っていて申し訳ありません

Manekineko

色々と、なかなか形にできなくて、更新が滞ってしまっています。大変申し訳ありません。
自分のところにも、招き猫が来て、導いてくれないかなと思う今日このごろです。

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2017年1月 8日 (日)

戦国時代展に行ってきた②

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博物館入口にあった戦国時代展のパネルには大きく上記の「黒塗紺糸縅足」が写っていましたが、
小学生の男の子が「これは佐竹の…」と指差して言っていたのを見たのには驚きました。

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2016年12月23日 (金)

戦国時代展に行ってきた

あまりに更新が滞ってしまっていて、申し訳ありません。

色々あって、まだ新作の用意もできていないのですが、
それにも関らず、先日「戦国時代展」行ってきました。
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11月23日から12月25日までの前期展示では、上のイラストの尼子経久奉納の甲冑が観たくて行ってきました。梶の葉の前立てが非常にカッコ良かったです。
同じ並びには大内義隆が厳島神社に奉納した「藍韋肩赤威甲冑(あいかわかたあかおどしかっちゅう)」がありましたが、これの弦走韋(胴の部分に張られている絵のついた覆い)の龍が可愛い顔をしているのも非常に良かったです。
これら2つの甲冑は、12月25日までしか見られないので、是非この週末行かれてはいかがでしょうか。
以上、とりとめないですが、良いお年を。
 

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2016年5月21日 (土)

畠山重忠公史跡公園に行ってきた

長年、実物を見てみたいと思っていたので、この前の連休に見に行ってきましたので、漫画にして思い出を残しておこうと思いました。もうちょっと先には寄居の鉢形城、また熊谷方面には忍城の行田があるのですが、歩き疲れたので畠山氏を満喫して帰りました。

16.5.22 文字、地図を修正。

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深谷市(旧川本町)作成の「畠山重忠辞典」を参考にさせてもらいました。


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2015年1月 1日 (木)

2015年もよろしくお願いします。

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2015年は未年、未年の戦国武将を探すと、

大谷吉継(生年が1559年なら、だけど)が該当するようです

というわけで、秀吉に「百万の兵を指揮させてみたい」と言わしめた彼に

羊の大軍を与えるという趣向の年賀イラストとしました。


ムリくりだけど、どうか今年もご愛顧賜りますよう頑張りますので、

よろしくお願い申し上げます。

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2014年6月30日 (月)

片倉喜多

『独眼竜政宗』があまりにも面白かったので、妄想しました。

※2014.7.1追記…誤字・脱字等を修正しました。

※2014.7.13追記…さらに追記、および修正しました。

 

 

Kita_topimage_2 片倉喜多は、伊達政宗の乳母(養育係)である。

そして、伊達家きっての猛将・鬼庭左月を父にもち、また、政宗の知恵袋・片倉小十郎景綱の姉でもある。さらには兵書に親しみ、武道にも堪能だったといわれ、正にスーパーウーマンという印象がある。

しかし、この評価は過大すぎるような気がして、頭から信ずるのは難しい。それでも、奥州一の大名となった伊達政宗の、あまり幸福だったとはいえない幼児期において、政宗の最も近くで、最も長い時間を共に過ごしたのが彼女であった事は間違いがなく、そう考えれば、やはり彼女の功績は群を抜くと言って良いのだろう。

そのような事を思いつつ、描いてみたのが、以下の作品である。

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2014年5月29日 (木)

三方ヶ原の戦い

Ieyasu 「織田がつき羽柴がこねし天下餅すわりしままに食うは徳川」…というように、家康は労せずして天下を得たように印象づけられる事が多いが、決してそのような事はない。

信長の唯一の同盟相手としての家康は、正に苦労の連続であった。中でも1572年の武田信玄が上洛軍を催した際は、同盟の手前、当時最強の兵団を有する信玄に、ほぼ独力で立ち向かわねばならなかったのだ。

それでもなんとか、この苦難を乗り切り、30年を経たころ、家康は自らが、信玄並みの経験値と実力を兼ね備え、もはや周りに恐れる程の敵がいないことを知り、天下に挑み、そして勝ち取ったのである。

今回は、その家康をして、最も心胆寒からしめ、かつまた、彼を大きく成長させた「三方ヶ原の戦い」を、妄想してみました。





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【お知らせ】

「犀ヶ崖の夜襲」は、紙幅の都合で割愛しました。

Tadayo

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2014年4月29日 (火)

太田道灌

Tobira



太田道灌(おおた どうかん)は室町時代末期の武将である。

関東一円をまさしく東奔西走して武名を上げたので、特に埼玉、東京、神奈川には、彼の功績を伝える銅像や史跡が多く、武蔵国は道灌で出来ている言っても過言ではないほどだ。


元々の江戸城を築いたのが彼であるということもあり、江戸の人々にもてはやされ、遂には以下のような落語まで作られ、今日もその名が衰えることはないのである。




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お後が宜しいようで。


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