最近描いたモノ
【鯰尾形兜】
桃山時代の武将にとって、鯰は地震を起こすという俗信から、
敵の心を揺るがす武勇を発揮するための縁起担ぎとして、
尾を象った意匠が蒲生氏郷や堀直などに好まれた。
なかでも前田利長の兜の鯰尾は長大である。
堀直寄は幼少の頃、紙や土の人形が大好きで、それ以外の物を贈っても喜ばなかった。
そして葛篭いっぱいに集めたそれらを、人目のない所で並べて合戦の真似事をしていたという。
ガンプラでも差し上げたら家老になれたかもしれない。
【笠置合戦】
笠置寺の後醍醐帝の元に参じた足助重範に兄を射倒された荒尾弥五郎は、
悔しさのあまり矢の催促をすると、足助は弓を強く引くため高紐を解いて、
二町先の荒尾の眉間へ矢を贈った。
また本性房は大岩を引っ掻いて手頃な大きさにして寄手に振舞った。
寺の本尊の磨崖仏は戦火で失われたという。
【悪源太】
『平治物語』では、待賢門合戦において、源義平が平重盛に勝負を求め、
紫宸殿の左近の桜・右近の橘の間を執拗に追い回す場面があるが、
記述の大内裏の構造は平治の乱の当時と異なると考えられ、実際にあったかは不明である。
この場面を思い出す度、義平に追従したのは騎馬武者たちだけど、
徒歩の郎従がいたとしたら大変だったろうなと思ってしまう。
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