最近描いたモノ
【羽犬伝説】
豊臣秀吉が九州平定を目指して入国したとき、行く手を阻んだのがこの羽の生えた犬で、
秀吉はなんとか退治したが、戦いぶりがいかにも賢明だったのに感心して、
塚を建て葬ったという話と、秀吉が九州平定の折に羽の生えた犬を連れていたが
その犬が死んでしまったので塚を建てたという二通りの伝説が残っているという。
【神功皇后と羽白熊鷲】
神功皇后(じんぐうこうごう)が九州へ赴いたとき、
羽白熊鷲(はじろくまわし)という背中に羽をもつ熊襲と
戦って見事に勝利したという記事が、『日本書紀』にある。
羽犬伝説とどこか似ている話である。
【金箔押風折烏帽子形兜】
上杉謙信所用と伝わる、烏帽子を模した変わり兜。左に折れているのが、大将の証だとされている。
中年の謙信でも描いてみた。
【朝倉宗滴】
越前朝倉氏の歴戦の猛将で、齢80になんなんとするころまで戦い、
ついに陣中で病を発して斃れたという、まさに生涯現役の老将であった。
「武士はなんと言われようと勝つ事を専一にせよ」というのが、
彼が遺した言葉であったという。
【三子教訓状】
毛利元就は、息子の隆元・元春・隆景の三兄弟へ、家名の存続のための訓示を記した、
全長3メートルにも及ぶ手紙を送った。
これが後世『三子教訓状』と呼ばれる有名な手紙である。
【いい風呂の日(11/26):源義朝】
源義朝は、平治の乱で平清盛に敗れ、再起を図って京都を脱出、
尾張国の長田忠致の屋敷に潜伏した。
ところがここで風呂に入った時に襲撃され殺されてしまったという。
義朝の武勇を恐れた長田は、完全に丸腰になる時まで、手が出せなかったのである。
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コメント
頼朝さんは親父さんと息子を風呂場でコロコロされているという。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2021年12月 7日 (火) 22時57分