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2021年11月 4日 (木)

最近描いたモノ

Gotobain_210704

後鳥羽院

上皇が承久の乱に破れて遠流となり、隠岐に着いたときに詠んだ歌がカッコいい。

ただし、己を哀れんだ傷心の歌と解釈するべきとも言われている。

 

Kanisaizou_20210920

可児才蔵

小牧長久手の陣で敗れた大将の豊臣秀次は、徒歩で退却するほどの混乱ぶりであった。

そこを馬で通っていく才蔵を見るや「その馬を貸せ」と命じたところ、

才蔵は「雨の日の傘でござる」と言い捨て逃げていった、という逸話が

『小牧陣始末記』に紹介されている。

 

Shimokoube_210926

下河辺行平

行平が頼朝に献上した兜には、本来袖につける布(袖印)があった。

行平いわく、武士の本懐は先駆けであり、であるならば目の前の敵には名乗りを上げることで、

味方にはその後ろ姿で名を知らしめることができるから、

兜の後ろに印をつけるのだと語ったと『吾妻鏡』文治五年七月八日条にある。

 

 

Kanazasimorisumi_211017_02

金刺盛澄

源頼朝に従うのが遅かった盛澄は不興を買い囚人となっていたが、

秀郷流の弓術を流鏑馬で披露して免罪を請うた。

頼朝は暴れ馬で行うよう命じ、盛澄が全中で応えると、今度は更に小さい的で挑戦させられ、

それも全中すると次は的をのせた串を射よ言われ、これにも応えて赦しを得たという。

 

 

Unnoyukiuji_211023

海野幸氏

北条時頼が初めて流鏑馬を披露するに及び、幸氏が指南した。

その際西行が語った極意を紹介すると、下河辺行平や愛甲季隆といった弓達者がしきりに感心したという。

この頃の彼らは結構老齢だったはずなので、

弓談義に花が咲いたのではないかと思う(『吾妻鏡』嘉禎三年7月19日条)。

 

 

Houjoutokiyori_2110321

北条時頼

小山の一族上杉朝村が酔って放った矢が、三浦一族が飲んでいる店に入った。

その非礼の対応が悪く大喧嘩となり鎌倉は騒然とした。

次期執権・北条経時は三浦方に駆け付けたが、弟の時頼は彼等が仲がいいのを知っていたのか

意に介さなかったので度量を称えられた。(吾妻鏡仁治二年11月29日-30日条)

 

 

Takedashingen_211103

武田信玄

11月3日が誕生日とのことで、さらに今年は生誕500年という記念の年だったので描きました。

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