最近描いたモノ

原田左之助
新選組十番隊組長で槍の名手の原田左之助の妻は、
1867年12月、鳥羽伏見の戦いの直前に帰宅して、
「当座の暮らしに」と大金を託し、身重の彼女を気遣いつつ
伏見へ行ってしまったのが、夫を見た最後だったと証言する(新選組物語)。
彰義隊に加わり上野で死んだとも、死に損ねて大陸に渡り馬賊になったともいわれている。 
兜大前立豪猪
豪猪とはヤマアラシのこと。制作は江戸時代だろうが、
初めてこの動物が日本に渡来したのは室町時代らしい。
ウチにあった古い図録の、モノクロ写真一枚を参考にしたので大きさや色は不明。
頓宮父子と田中兄弟
赤松円心が幕府軍と苦戦していた時、赤松勢の中から四人の兵が敵前に立ちはだかった。
身の丈七尺、竜頭の兜を猪首につけ、顔には逆立つ髭、八尺の金砕棒を軽々と持つ大男だったので、
数千騎の幕府の兵は恐れをなして戦わずに引き退いた(太平記巻八「四月三日合戦事」)。
太平記中には「…六波羅勢、彼等四人が有様を見て、
未戦先に三方へ分れて引退く…」とあるけど、画中は四人の間を幕府軍が通り過ぎて、
隊が三つに分かれることにしたので念のため付記。
あと、この四人はこの戦いで皆死んでしまうのがとてももったいない。
円心の心中察するにあまりある。
※以下もそのつづき。
島津安芸前司と田中弥九郎
前述の通り、赤松軍のなかから現れた勇士・頓宮父子と田中兄弟の四人の威容に、
幕府軍が恐れをなすなか、幕府方の越前住人・島津安芸前司の一党は馬を進め、
得意の射術で田中藤九郎を仕留めた。すると弟の田中弥九郎は、兄の金砕棒を取って、
島津に敵討ちにと挑みかかった。西国名誉の打物の上手と北国無双の馬上の達者の攻防は、
皆固唾を飲んで見守る名勝負だったという。 
以上の激戦のあと、同じく赤松軍で戦っていた妻鹿孫三郎は、
少年の頃から相撲で敵無しという武者であった。
そんな彼に、若武者が組み付いた。しかし孫三郎は難なく彼を左手で持ち上げて馬を進めていると、
敵が追いかけてくるので、孫三郎は若武者を右手に持ち替え、
追手6人の上を通り越すほどに投げ飛ばした。まさにメガトン級の怪力であった(以上、太平記巻八より) 

間十次郎と小林平八郎(忠臣蔵)
吉良上野介邸を襲った赤穂浪士は、物置に潜む上野介を発見、間十次郎が討ち果たした。
この功を賞したのか、大石内蔵助は、泉岳寺の主君の墓前に上野介の首を持って参ったとき、
一番最初に十次郎に焼香をあげさせたという。
浪士の出立は揃いでなく自弁だったが、火消風にするよう指示により皆似通った格好で、
槍は柄を短くしていたらしく入念な計画性がうかがえる。
さりとて吉良方もされるがままではなく、上野介の家来の小林平八郎などは、
槍を振るって応戦したが敢え無く闘死したと言われている(江赤見聞記)。 
…というわけで、良いお年を。
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コメント
>ファン様
コメントありがとうございます。巻いているのは籠手です。『七人の侍』で三船敏郎がやっているのを参考にしました。
投稿: 作者 | 2025年5月25日 (日) 08時15分
左之助の頭につけてる頭巾みたいのはなんですか
投稿: ファン | 2025年5月24日 (土) 16時48分