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2020年12月26日 (土)

最近描いたモノ

Haradasanosuke_201114

原田左之助

新選組十番隊組長で槍の名手の原田左之助の妻は、
1867年12月、鳥羽伏見の戦いの直前に帰宅して、
「当座の暮らしに」と大金を託し、身重の彼女を気遣いつつ
伏見へ行ってしまったのが、夫を見た最後だったと証言する(新選組物語)。
彰義隊に加わり上野で死んだとも、死に損ねて大陸に渡り馬賊になったともいわれている。



Yamaarashi_201128

兜大前立豪猪

豪猪とはヤマアラシのこと。制作は江戸時代だろうが、
初めてこの動物が日本に渡来したのは室町時代らしい。
ウチにあった古い図録の、モノクロ写真一枚を参考にしたので大きさや色は不明。

Tonguutanaka_201206

頓宮父子と田中兄弟

赤松円心が幕府軍と苦戦していた時、赤松勢の中から四人の兵が敵前に立ちはだかった。
身の丈七尺、竜頭の兜を猪首につけ、顔には逆立つ髭、八尺の金砕棒を軽々と持つ大男だったので、
数千騎の幕府の兵は恐れをなして戦わずに引き退いた(太平記巻八「四月三日合戦事」)。
太平記中には「…六波羅勢、彼等四人が有様を見て、
未戦先に三方へ分れて引退く…」とあるけど、画中は四人の間を幕府軍が通り過ぎて、
隊が三つに分かれることにしたので念のため付記。
あと、この四人はこの戦いで皆死んでしまうのがとてももったいない。
円心の心中察するにあまりある。
※以下もそのつづき。

Shimazuakizennji_201219

島津安芸前司と田中弥九郎

前述の通り、赤松軍のなかから現れた勇士・頓宮父子と田中兄弟の四人の威容に、
幕府軍が恐れをなすなか、幕府方の越前住人・島津安芸前司の一党は馬を進め、
得意の射術で田中藤九郎を仕留めた。すると弟の田中弥九郎は、兄の金砕棒を取って、
島津に敵討ちにと挑みかかった。西国名誉の打物の上手と北国無双の馬上の達者の攻防は、
皆固唾を飲んで見守る名勝負だったという。

Megamagosaburou_201121

以上の激戦のあと、同じく赤松軍で戦っていた妻鹿孫三郎は、
少年の頃から相撲で敵無しという武者であった。
そんな彼に、若武者が組み付いた。しかし孫三郎は難なく彼を左手で持ち上げて馬を進めていると、
敵が追いかけてくるので、孫三郎は若武者を右手に持ち替え、
追手6人の上を通り越すほどに投げ飛ばした。まさにメガトン級の怪力であった(以上、太平記巻八より)


Hazamamitsuoki_201213

Kobayashiheihachi_201213

間十次郎と小林平八郎(忠臣蔵)

吉良上野介邸を襲った赤穂浪士は、物置に潜む上野介を発見、間十次郎が討ち果たした。
この功を賞したのか、大石内蔵助は、泉岳寺の主君の墓前に上野介の首を持って参ったとき、
一番最初に十次郎に焼香をあげさせたという。
浪士の出立は揃いでなく自弁だったが、火消風にするよう指示により皆似通った格好で、
槍は柄を短くしていたらしく入念な計画性がうかがえる。
さりとて吉良方もされるがままではなく、上野介の家来の小林平八郎などは、
槍を振るって応戦したが敢え無く闘死したと言われている(江赤見聞記)。


Otsukaresama_201226_resize

…というわけで、良いお年を。





 

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コメント

>ファン様
コメントありがとうございます。巻いているのは籠手です。『七人の侍』で三船敏郎がやっているのを参考にしました。

投稿: 作者 | 2025年5月25日 (日) 08時15分

左之助の頭につけてる頭巾みたいのはなんですか

投稿: ファン | 2025年5月24日 (土) 16時48分

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