最近描いたモノ
河野の後築地
弘安の役に出陣した河野通有は、元軍の襲来に備えて築かれた防塁の石垣を背にして、
浜辺に陣取り決死の覚悟を示し、そして勇猛果敢に戦ったという(予章記)。
平知盛
平知盛は、壇ノ浦の戦いでの敗北が決定的になると、船の上を掃除し、
鎧を二領着て海に飛び込んだとも、碇を抱えて身を投げたともい言われる。
平家軍の総帥・平宗盛も、海に飛び込んだが、泳ぎが上手くて沈むことができず、
源氏方に生け捕られた(平家物語)。
大島光義
大島光義は、13歳の初陣以来、弓での功名は数知れない武辺者で、
齢80になんなんとした頃、豊臣秀次の命で八坂の塔の窓へ、
10本の矢を射込んだほど健在であったらしい(寛政重修諸家譜)。
気力はなおも衰えることなく、97歳の長寿を保った。
渡辺勘兵衛
数々の武功で知られる。
山中城攻防戦では、城兵の間隙を衝いて三の丸に侵入、敵と入り乱れて二の丸へも潜入に成功、
遂に本丸にたどり着き一番乗りを果たしたという(渡辺勘兵衛武功覚書)。
途中で同僚が何人も負傷・戦死しているので、短時日の落城とはいえ相当な激闘だったようだ。
兜と背中の指物は、『渡辺勘兵衛(推庵)遺像裏書』というのにあったものを
参考にした(国会図書館オンラインで閲覧可)。網代模様の覆いのある「加升兜」というものらしい。
こんな指物もしてない気がするけど、特別の工夫をしてたとか本人が言っているので、
案外『裏書』通りなのかも…と思った。
最後に、夏らしく妖怪話。
楠木正行は、多門丸と呼ばれた少年の頃、妖怪(古狸)を倒した伝説がある。
〈注〉画像の漫画は、国文学研究資料館蔵『楠正行戰功圖會』を参考にして、
クリエイティブ・コモンズ表示4.0ライセンス CC BY-SA
(https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja)の下、創作しました。
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