最近描いたモノ
加藤清正
言わずと知れた、熊本城の築城者。
松平不昧
茶人として有名ですが、松江藩中興の祖として地元では愛されています。
財政を再建させたものの、趣味に散在して再び悪化させたという話があるのですが、
実際はそんなことはなく、彼の代でやっと借金を整理して返済の目処をつけられたという事であり、
依然借財は大きかったものの、不昧のおかげで、松江藩は長い年月をかけて完済しています。
若い頃は、管槍という、刺突が素早く行えるように工夫された槍を習い、免許を得ています。
北条時宗
蒙古の襲来を乗り切った執権・北条時宗は、得宗家の嫡男として11歳で元服、婚姻、
その祝いの席で急遽父の時頼から小笠懸(笠懸の馬場を逆走して的を射る競技。
馬の右側から的を狙うので、笠懸、流鏑馬とは真逆になる)を行うよう指示され、
一度は失敗したものの、再び挑んで見事に的中させて、そのまま自邸へ帰るという
爽やかな活躍をしています。幼少の頃からプレッシャーに耐える器量の持ち主だったと言えるでしょう。
源為朝
江戸時代に出来た源為朝を主役にした『椿説弓張月』では、
伊豆に流された為朝が、疱瘡の疫病神を退治した話があったことから
「為朝ここにあり」などと描いた紙を玄関の軒に張り付けておくと
疱瘡にかからないという風習が生まれたと言います。
鍾馗なども同じように、疫病退散の象徴としてもてはやされましたが、
いずれも子供の健やかな成長を願うものと考えられています。
| 固定リンク
コメント
内田百閒先生は、松江阿房列車「管田庵の狐」で、松江を訪問しますが、松平不昧公はどーでもいい、と宣言して管田庵の見学を拒否しています。百閒先生のファンの大半は、しょーがない、と納得していますが。
熊本城は清正公のお城ですが、江戸を通じて管理したのは、細川家ですよねぇ、
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2020年4月22日 (水) 23時07分