最近描いたモノ追加
前回の投稿に引き続いて、最近描いたモノを羅列していきます。

内藤正成
徳川十六神将のひとりに数えられる、弓の練達者。
『寛政重修諸家譜』『干城録』によれば、押し寄せる敵に弓で応戦するも、
矢が尽きかけ窮地に陥ったところ、いつの間にか傍らに少年がいて、
彼に矢を拾ってくるよう頼むとたちまち拾い集めてきたので、
200人余りの敵を撃退した…という逸話がある人物です。
この少年が怪しすぎるので、矢作川の河童という意味合いを込めて描いてみました。
久しぶりに戦国時代の人物を描きました。もっと描きたいのですが…。

俵藤太
藤原秀郷。平将門を打ち取った猛将ですが、その剛勇を広めるためか、
竜宮でのムカデ退治の伝説が広く知られています。お礼にもらった俵は、
いつまでも尽きることなく米が出てきたため、「俵藤太」と異名がついたとか。

安倍貞任と宗任
前九年・後三年の役で、蝦夷の大将として名を馳せたのがこの兄弟です。
たいへんな肥満体だったと伝わっており、こんな姿になりました。
弟の宗任は、戦後捕虜として都へ送られ、都人から色々と馬鹿にされたようですが、
巧みだった和歌に頓智を託して受け流した逸話が有名で、兄弟ともに名将だったのだろうと思いました。

伊藤景清
悪七兵衛景清。『平家物語』の「錣引き」の段を漫画にしました。
構図は「ガンダム大地に立つ」で、ガンダムがザクの口のホースを引きちぎるシーンになぞらえました。

真弓広有
『太平記』の「広有怪鳥を射る事」という段に、彼の妖怪退治譚があります。
紫宸殿の上から「いつまで、いつまで」という声が降ってくるというので、
その昔、鵺退治をした源頼政や、八幡太郎義家の故事に倣って、
弓の達者に退治させようとなり、彼がその役を仰せつかり、後醍醐天皇も見守るなか、
見事に成功させました。黒雲のなかからは、顔が人のようで胴体は蛇のよう、
翼を広げると5メートル近くある怪鳥でした。
後醍醐天皇は、「万が一、紫宸殿の中に矢が落ちてしまってはいけないから」と
雁股の矢じりを取って射たという広有の配慮に感じ入り、所領と官位を与えたと言われます。
その中に『真弓』の姓を賜ったという逸話も入るようですが、太平記には記載されてませんでした。
しかし福岡県のみやま市、山川町の真弓の地名はこの逸話に拠っているため、それに倣いました。
| 固定リンク
コメント
日本勝ちましたねー。これで、スコットランド代表監督は、台風に喧嘩売った挙句に、日本に競り負けた、スットコランド代表監督に成り下がってしまったと。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2019年10月13日 (日) 22時12分