畠山重忠公史跡公園に行ってきた
長年、実物を見てみたいと思っていたので、この前の連休に見に行ってきましたので、漫画にして思い出を残しておこうと思いました。もうちょっと先には寄居の鉢形城、また熊谷方面には忍城の行田があるのですが、歩き疲れたので畠山氏を満喫して帰りました。




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コメント
〉夜叉姫様
コメントありがとうございます。
終焉の地は横浜でしたか、私の家からも近いので、
いつか見に行ってみたいと思っています。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: 作者 | 2017年8月 8日 (火) 23時04分
うちのご近所に重忠公終焉の碑や首塚他、色々な場所があります。
投稿: 夜叉姫 | 2017年8月 8日 (火) 11時23分
>bad.Ⅳh-95様
コメントありがとうございます。
熊谷駅乗り換えで武川に向かったので、熊谷直実の銅像も見られたのですが、疲れたので断念しました。
私も畠山重忠の武勇や胆力にあやかりたいものです。
投稿: 作者 | 2016年5月27日 (金) 19時54分
源氏の荒武者というと、熊谷次郎直実を重し出しましたが、彼に所縁のある寺院が藤枝市にもあります。
熊谷山と書いて「ゆうこくざん」という山号を持つ蓮生寺という真宗大谷派のお寺です。
しかし、九郎判官は別としても、板東武者の純粋で空気読解能力絶無な真っ直ぐな武勇は、尊敬しちゃいます。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2016年5月26日 (木) 21時18分
>アリス様
コメントありがとうございます。
大鎧は日本画の傑作などを見てると本当にかっこ良いので、刺激されて描くので、
お褒めいただけるととっても嬉しいです。それでも細部で色々間違い勘違いがあります、申し訳ありません。
今後も頑張りますので、よろしくお願い致します。
>かつも様
私も実を申せば、いわゆる源平合戦~鎌倉時代の事はよく知りません。。
しかし、そんな中でも強烈に印象付けられているのが、この銅像の逸話だったので、今回見てきました。
それはさておき、「長篠のぼりまつり」に行かれたとのこと、羨ましいです。
鳥居強右衛門ののぼりなんて、実際に背負っている武者を見てみたいです。
鉄砲も口径が大きくなったら、一人で撃つのには、力自慢の人でないと難しそうですね。
そういう人がいたのならば、確かに馬を担いじゃう人はいたかも知れません。
現代において、昔を知れる機会に立ち会うのはとても重要ですので、
これからもお互い続けていきましょう。
コメントありがとうございました。
>ヤザワ様
まず一言、「ナイス物好き!!」
この漫画を見て行かれる気になってくれたのでしたら、感慨もひとしおです。
畠山重忠は「我が心正しかれば…」の話もカッコイイし、生きていた当時から本当に人気者だったのではないかと思います。
とてもうれしいコメントをいただきまして、誠にありがとうございました。
今後共よろしくお願いいたいます。
投稿: 作者 | 2016年5月24日 (火) 22時29分
思わずこれを見て日曜日(22日)、埼京線、高崎線、秩父鉄道を乗り継いで行ってきてしまいました!気は優しくて力持ちの元祖、重忠公。ファンです。鶴岡八幡宮の静御前の舞の段では、パーカッション担当だったとか。もっと注目されていい武将ですね。
次作、期待しています!
投稿: ヤザワ | 2016年5月24日 (火) 15時15分
いつも楽しく拝見させて頂いております。
私はまだまだ鎌倉時代に疎く、畠山重忠さんは知らない武将なのですが。
このような方がいらっしゃるのですね~
ヤマト先生の相馬の野馬追い祭りのレポートを見てから
地域の行事に興味がわき、GW中に私も長篠のぼりまつりというのを観てきました
そこで火縄銃の試射?があったのですが保存会の方が
「鉄砲隊は80kgの火縄銃も一人で撃っていた」と言っておられ
「マジかよ!すっげぇ!」と驚愕しました。
現代人では考えられないパワーをもっていた戦国時代の若者を思うと
重忠さんのこの逸話も、銅像の様に前足を担いで下った可能性も。。。
って思っちゃいました(笑)
投稿: かつも | 2016年5月23日 (月) 16時30分
月曜の朝からお茶を吹かせないで下さい。お陰でモニタとキーボードに茶しぶきが…少女漫画風?でイケイケな九郎殿とか卑怯ですわw
河野通有の時も思ったんですが、ヤマト先生の大鎧ってカッコイイですね。当世具足もカッコイイですが如何にもヨロイって感じが素敵です。次回作も楽しみにしています。
投稿: アリス | 2016年5月23日 (月) 09時28分
>デンスケ様
コメントありがとうございます。
私が行った時は、駐車場で休憩してるサラリーマン以外いませんでしたが、お祭りの日は賑わっていると思います。
坂東とはいえ、当時の馬なら、力自慢の人なら担げたかもしれませんね(そして、銅像の馬も、股間はしっかりしたのがついてました)。
銅像の後ろに、総製作費を記した碑もあって、かなりの情熱をもって造られたのが偲ばれます。
投稿: 作者 | 2016年5月22日 (日) 12時10分
判官殿がお目目キラキラに描かれたの見て吹き出してしまいました(笑)。
畠山重忠、坂東武者の鑑ですから現在も地元の方に愛されているのですね。
昔の馬は小柄らしいので怪力無双の武者ならかつげたかもしれませんが
その一方で去勢していなかったので荒っぽい気性と聞いた事があります。
現実的にかつぎづらい(暴れる)でしょうけど重忠らしい逸話ですよね。
投稿: デンスケ | 2016年5月22日 (日) 11時50分