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2014年5月29日 (木)

三方ヶ原の戦い

Ieyasu 「織田がつき羽柴がこねし天下餅すわりしままに食うは徳川」…というように、家康は労せずして天下を得たように印象づけられる事が多いが、決してそのような事はない。

信長の唯一の同盟相手としての家康は、正に苦労の連続であった。中でも1572年の武田信玄が上洛軍を催した際は、同盟の手前、当時最強の兵団を有する信玄に、ほぼ独力で立ち向かわねばならなかったのだ。

それでもなんとか、この苦難を乗り切り、30年を経たころ、家康は自らが、信玄並みの経験値と実力を兼ね備え、もはや周りに恐れる程の敵がいないことを知り、天下に挑み、そして勝ち取ったのである。

今回は、その家康をして、最も心胆寒からしめ、かつまた、彼を大きく成長させた「三方ヶ原の戦い」を、妄想してみました。





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【お知らせ】

「犀ヶ崖の夜襲」は、紙幅の都合で割愛しました。

Tadayo

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歴史」カテゴリの記事

コメント

>bad.Ⅳh-95様
ありがとうございます。ご指摘の復元櫓の写真は私も参考にしました。
仰るように井戸がない城というのも変なので、茂みの中など見つけにくい場所に設置したか、
もっと単純に、武田軍が力攻めで落としたのかもしれませんね。残念ながら、私にもわかりません…。

投稿: 作者 | 2014年6月16日 (月) 21時30分

それと、二俣城の水汲み櫓、旧天竜市が再現したものが
城址公園に設置されていますが、その雰囲気を旨く捕ら
えていますね。
水汲み櫓については、伝説的な部分もあるようですが、
川のそばの山城で城内に井戸を確保できなかった、とい
うのは、どういうものでしょうね。

投稿: bad.Ⅳh-95 | 2014年6月15日 (日) 21時34分

>2014年6月13日 (金) 15時39分のお方様

コメントありがとうございます。
お婆さんの話は、土地に伝わっている昔話みたいですね。
なんでこのような話が作られたのか不思議です。

ページの見え方を直しましたが、これで問題ないでしょうか。
今後共宜しくよろしくお願いします…!

投稿: 作者 | 2014年6月13日 (金) 19時33分

ふたつめのお話は初めて聞きました。元気すぎるほど元気な(むしろ妖怪?)ばあさまがインパクト大ですね。

ところでひとつめのお話の1ページ目がずれています。またあとで読みに来ますね。

投稿: | 2014年6月13日 (金) 15時39分

>でし様

コメントどうもありがとうございます。
自分でも、武田軍の強さが伝わる描画ができたかなと思っています。
銭取の話は、自分も今回調べていて初めて知ったので、家康はこんな怪談ももってるのかと驚きました。
不可解至極ですが、面白いので、笑い話として末永く伝えて欲しいですね。

リクエストも、ありがたく拝聴いたしますが、いつか実現させたいと、こちらも思っています。
どうか今後も見守っていてくださればと思います。よろしくお願いします。

投稿: 作者 | 2014年6月 2日 (月) 21時33分

三ヶ原の戦い楽しく読ませて頂きました。山県昌景が再登場で嬉しかったですし、ちゃんと武田の印字打ち部隊もいるのはさすが大久保先生(^^)
二つ目の俗説は私も初耳でした。あの時代に茶屋なんかしたら茶屋のほうが根こそぎ持っていかれますからねコメディパート的な箸休め的な逸話なのでしょう(それにしても魔のトンネルを走ってそう)

「葵~徳川三代」の家康は晩年で老成しつつも短気な所が描いてありましたが今一想像できなかったのがこの漫画で家康にも若い頃や失敗があったんだなぁと人間臭く感じます

追伸:最上義光をリクエストします。あの政宗とのやりとりか見てみたいので

投稿: でし | 2014年6月 2日 (月) 10時28分

>デンスケ様
わざわざブログの方にもご感想いただき、ありがとうございます!
武田軍の指揮官は、ご指摘の通り山県昌景です。
「武田四名臣」では1ページしか出してないのが心残りだったので活躍させました。
戦国時代なら民衆もかなり気が荒かったという話もあるので、凄いおばあさんもいたかもしれませんね。
今後共よろしくお願いします。

>bad.Ⅳh-95様
コメントありがとうございます。
小豆餅、銭取は地名として非常に面白いので、この逸話込みで末永く残して欲しいです。
家康のおもらしの件は、浜松の方たちに怒られないように祈るのみです。
お読み頂き、ありがとうございました~。

>2014年5月30日 (金) 04時32分のお方様
お読みいただき有り難うございます。
僕もすっかり刷り込まれて育ったもので、今回のような漫画を描きました。。
初出が山岡荘八だとすると、流石の伝播力ですね。
その場合は、商用利用の予定なぞ一切ないということで、お目こぼし頂きたい所です…
ともかく、今後共当ブログをお読み頂きますようお願いいたします。

>かつも様
コメントありがとうございます。
僕も、若いころの家康はスマートだっただろうし、晩年も肥満だったというのもどうなんだろうと懐疑的ではあります。
「どうせ天下人になったんだから、何言ってもいいだろう」というような所がありそうですね。
仰る通り、当時の走り方は今と違うのですが、銭取の逸話はもう色々超越してるので、お婆さんはスプリンターにしました。
当時の走り方を描こうとすると、僕の技量では逃げ惑う感じが出せなかったので、足軽も普通に走っています。。
今後も精進しますので、引き続きよろしくお願いします…!


投稿: 作者 | 2014年5月30日 (金) 22時29分

最近地元ネタが多くて嬉しい限りです!
三方ヶ原の合戦当時はお腹にサナダムシがいたらしく
まだ太ってなかったという話もありますね。
寄生虫を追い出してから恰幅がドンドンよくなっていったと、、、
昔の日本人の走り方は今とは違い両手を腿の前におき
「静々」と走っていたようなので茶屋の婆ちゃんがもし漫画のような走り方をしていたら
馬に追いついてた可能性は十分あります!
完全に近代走法ですものwしかも腕が良く振れています
足軽の頭を颯爽と飛び回る身軽さに義経公を連想しました
ネタにされる事が多い家康公ですが
260年に及ぶ平和をもたらした大業の反動といえましょうかね

投稿: かつも | 2014年5月30日 (金) 11時42分

脱糞伝説……山岡荘八は罪深いですなあ

投稿: | 2014年5月30日 (金) 04時32分

実際、小豆餅と銭取という交差点が浜松市内にあるので、権現様の焼き味噌伝説は、浜松市が変節しない限り、代々常しえに伝えられるでしょう。まあ、しゃーない。あんたが信玄公の動きを舐めてたとも考えられるんだから。

投稿: bad.Ⅳh-95 | 2014年5月29日 (木) 22時59分

今回の三方ヶ原の妄想も楽しく読ませて頂きました。
(感想はツイッターでしてますのでこちらにカキコするのは初です)

二枚目の武田の武将は山県昌景がモデルでしょうか?
武田のビシッとした雰囲気が出ててよかったです。

俗説その2は私も初めて聞きました。
当時の方は終戦後、武器などを拾っていたとか聞くので
そのくらいがめつい人がいてもおかしくなさそうですね。
  

投稿: デンスケ | 2014年5月29日 (木) 22時51分

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