太田道灌
太田道灌(おおた どうかん)は室町時代末期の武将である。
関東一円をまさしく東奔西走して武名を上げたので、特に埼玉、東京、神奈川には、彼の功績を伝える銅像や史跡が多く、武蔵国は道灌で出来ていると言っても過言ではないほどだ。
元々の江戸城を築いたのが彼であるということもあり、江戸の人々にもてはやされ、遂には以下のような落語まで作られ、今日もその名が衰えることはないのである。


お後が宜しいようで。
| 固定リンク
「歴史」カテゴリの記事
- 5/5(2019.05.05)
- 武蔵御嶽神社に行ってきた(2017.05.28)
- 更新が滞っていて申し訳ありません(2017.03.31)
- 戦国時代展に行ってきた②(2017.01.08)
- 戦国時代展に行ってきた(2016.12.23)
コメント
>bad.Ⅳh-95様
コメントありがとうございます。
自分もそこまでは不勉強で知りませんが、江戸時代に作られた気がします。
そこからさらに落語にまで練り上げたのだとしたら、江戸の市民の知識の高さを褒めたいと思いました。
今後共よろしくお願いします。
投稿: 作者 | 2014年5月 3日 (土) 11時41分
この山吹の和歌のハナシの出典はどこでしょうね。
無理矢理作らなくても、道灌が一廉の武将なのは
間違いないのですが。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2014年5月 3日 (土) 08時54分
>でし様
毎度コメントありがとうございます。
自分も、「よくも悪くもエリート」というイメージで漫画にしました。
仰る通り、社会的地位の高い人に対しては、要求度も高そうな感じがしますね。
そして確かに、隠居してしまえばよかったなと思いました。
そういう処世術が思いつかない感じは石田三成にも通じる気がします。
今後共よろしくお願いします!
投稿: 作者 | 2014年5月 3日 (土) 07時12分
こんばんは、太田道灌の「山吹の和歌」は有名ですね。太田道灌はさしずめ「俺はこれだけ出来るからお前も当然出来るよな」という人ではないでしょうか?自分の能力と忠義に自信があるので下剋上の風聞に怯え暮らす主君の心理を知ろうともしなかったように思えます。適当な所で隠居でもしてれば長生きできたかもしれません。
言葉足らずは信長、自分と同じ事を一方的に要求するのは石田三成に似てますね
最近タブレットに変えたら上手く投稿できず御無沙汰していました(^_^;)またよろしくお願いします
投稿: でし | 2014年5月 2日 (金) 23時22分
>かつも様
コメントありがとうございます。
確かに、暗殺されるまで主家を去ろうとはしなかったのだから、
婆娑羅な価値観は持ってなかったのかなと思うと、相当なインテリか、
誠実な人だったのでしょうね。
奇しくも5月1日は道灌が江戸城を築いた日だとかで、
良いタイミングで公開できてよかったなと思います。
これからも宜しくお願いします。
投稿: 作者 | 2014年5月 1日 (木) 14時43分
いつも楽しく拝見させてもらっています。
今回は太田道灌さんの逸話ですな!
扇谷上杉氏のほぼ全権を手中にしていたにも関わらず
不満を漏らしていたそうですが。。。それは致し方ない事だと思えます
彼の功績は扇谷上杉氏では召し抱えられる限界を超えていたんでないかと
それでも愚痴をいうだけで出奔や下克上をしようとは思わなかったのは
長尾景春の敗走などを鑑みて分をわきまえるという事はしていた気もします
扇谷上杉氏は長享の乱以後、太田道灌に対して
疑心暗鬼になっていたかもしれませんね。
投稿: かつも | 2014年5月 1日 (木) 12時51分