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2013年6月 1日 (土)

歴史魂vol.12「塙団右衛門」予告

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歴史魂vol.12は6月6日発売です。

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後藤又兵衛(ごとう またべえ)


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黒田官兵衛、長政の臣として「黒田二十四騎」「黒田八虎」の中の一人に挙げられるほどの武功を立てた。しかし出身は黒田家の勢力圏の播磨国であるものの、三木城籠城戦の頃までは小寺氏の家来であり、生え抜きの黒田家臣ではない。黒田家に確実に在籍しているのがわかるのが島津征伐時のことで、それまでは仙石秀久の下で活躍していたらしい。朝鮮出兵の頃には黒田一成、母里友信と交代で先鋒を務めるまでに出世していた。関ヶ原も終わると黒田家は筑前52万石の大身代となり、又兵衛も1万6000石と大名並みの禄高を誇ったが、主君長政との積年の不仲が決定的となり、主家を退転、浪々の身となった。又兵衛を迎え入れたい大名は数多いたが、旧主長政は「奉公構」を出して阻止したという。それほど二人の仲は悪かったのである。

やがて豊臣氏が徳川幕府に反旗を翻すべく、諸国の浪人を召募し、又兵衛もこれに応じて大坂へ入城する。この時豊臣氏は彼に莫大な支度金を用意した。浪人の中には、長宗我部盛親など、元々が国持の大名もいた中、元黒田家臣という、豊臣氏から見れば陪臣である又兵衛に対して、これは破格の待遇であった。開戦後は期待に応え、大坂方の筆頭武将として善戦し、大坂冬の陣では彼の赴く所必ず、幕府軍は多大な損害を被った。しかし20万を超える軍勢を動員した幕府軍の攻囲にはかなわず、夏の陣では開戦劈頭の道明寺の戦いで討死した。

この戦いの前に又兵衛は、自隊の中の未成年者と、家の嫡男にあたる者の従軍を禁じたというから、もはや勝つつもりよりも、死に場所を求めて戦ったと考えられる。そして彼の死の二日後、大坂城は落城し、戦国時代はとうとう終わりを告げたのだった。

黒田長政があるとき、敗戦の反省に髪を切った時、家臣もそれに倣う者がいたが、又兵衛は「武士が負けるたびに切っていたら、一生髪が伸びず坊主になってしまう」と一笑に付したという逸話があるように、諧謔と現実的な性格を持った人間で、そのため多くの人々から愛されたようだ。生存説や終焉の地など、伝説上の又兵衛ゆかりの地が数多く存在するのもそのためであろう。

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