歴史魂vol.10「宇喜多直家」予告
歴史魂vol.10は、12月6日発売です。
【お知らせ】
単行本所収作のうち、ブログで発表した作品を一部復活させました。
佐竹義重(2012.03.07)
武田四名(2012.04.06)
竹中半兵衛(2012.05.07)
伊達輝宗(2012.06.09)
片倉景綱(2012/08/26)
こちらもよろしくおねがいします。
<武将FILE>
新納忠元(にいろ ただもと)
島津忠良の頃に出仕し、貴久、義久に仕えた老臣。出陣した合戦では必ず活躍したので、島津家中で武功者を上げる際には、必ず忠元から指折り数えたので、「親指新納」の異名がある。菱刈氏討伐の決戦となった大口の戦いでは、若き家久と共に、釣り野伏作戦を決行して大いに敵を破った。これが遠因となったのか、対龍造寺との決戦の大将には義弘と家久どちらが良いかと迷っていた島津義久に、忠元は「家久を総大将に」と進言したという。その見込みどおり、沖田畷では家久が大戦果を上げたのであった。
武勇のみならず、和歌や茶の湯にも造詣が深く、水俣城攻略中、城へ向かって、「秋風に水俣落つる木の葉哉」と書いた矢文を送ると、敵将の犬童頼安が「寄せては沈む月の浦波」と返したという逸話が有名。犬童の機知こそ天晴だが、殺伐とした状況でユーモアある挑発ができる忠元も見事である。
龍造寺隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)
少弐氏の臣・龍造寺周家の嫡男として生まれるが、幼くして寺に入れられた。腕白坊主で問題児だったというが、平家物語の頁を諳んじるなど、早くから非凡な一面が垣間見えていたようだ。
そんな折、主君から謀反の疑いをかけられて父が誅殺され、家運大いに傾いた。しかしなんとか持ち直し、隆信が還俗して家督を継ぐに至る。
すると隆信は少弐氏を倒し、近隣を席巻、大友氏に今山の合戦で勝利すると、大友・島津・龍造寺と、九州を三分する勢力にまで拡大させた。
しかし、その躍進を支えた武断的性格が仇となり、徐々に国人からの人気を失い、沖田畷の合戦で、味方に見捨てられるような形で討死した。総大将が戦場で首を取られたのは、戦史上でも桶狭間の今川義元の他、極めて例は少なく、島津氏に完勝の誉を与える結果となってしまった。それでも彼の死に殉じるように、破滅的な突撃で散った「龍造寺四天王」など、武勇の士も数多かった。リーダーとしての魅力があったのは間違いない。
島津家久(しまづ いえひさ)
島津四兄弟の末弟。一番年の近い三兄の歳久でも10歳の開きがある。必然的にデビューが遅くなったが、兄たちに勝るとも劣らない戦功を誇るのは、兄たちが試行錯誤し名将になっていくのを、幼い頃からよく見て学んだからであろう。敵の十分の一の兵数で、龍造寺隆信を破った沖田畷の合戦の勝利は、言うなれば兄弟全員の力の結集であったと言えよう。
つづく戸次川の合戦でも見事な用兵で敵を破ったため、優秀な戦術家という面でのみもてはやされがちだが、耳川の合戦の時、高城に籠城するべく着到すると、先に入城していた山田有信の所へまず駆けつけ、長男誕生の報告をして祝ってやったり、また籠城中には敵から酒が贈られると、返礼として自ら川で魚を釣って贈り返し、城内の水が枯れると、井戸掘りを買って出るなど、人間的なエピソードが非常に多い事にも注目すべきである。兄たちが家臣から尊敬される形で結束を図るタイプとすれば、家久は家臣が協力せずにはいられないような愛嬌があったのではないだろうか。急逝が悔やまれる人物であった。
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コメント
>でし様
こちらこそ、本年もよろしくお願いします。
そして、本編についてのご感想、誠にありがとうございました。
自分が作中で最も意を注いだ部分に共感していただけて、非常に、本当に嬉しいです…!
これからも頑張りますので、引き続きよろしくお願いします!
投稿: 作者 | 2013年1月13日 (日) 08時00分
大変遅くなりましたが、2013年もよろしくお願いします。
「宇喜多直家」本編を拝読しました。直家が最後に残した台詞に謀将・宇喜多直家の人生、魂が凝縮されていて感慨深く胸打たれました。
大久保先生の作品はいつ読んでも心の琴線を鳴らしてくれます、今年も頑張って下さい(^O^)
投稿: でし | 2013年1月12日 (土) 22時45分
>勝元様
コメントありがとうございます!私も、直家は必要以上に「盛られている」と思いますし、
似たような事をした武将は他にもいるはずですよね。ただ、ヒューマニズムだけが人間らしさというわけでなく、
勝利のために悪行をいとわない生き方も、それもまた人間らしいのではないかと、彼を描いてみて思いました。
仰る通り、いい話もなくはないようですし。今後共よろしくお願いします!!
投稿: 作者 | 2013年1月10日 (木) 22時03分
その位宇喜多家の土台がしっかりしていなかった
というのも根底にはあると思います。。。。
長い間家臣として仕えた人には厚遇していますし。。。
宇喜多家側に裏切る人もいたわけですし。。。。
人としての魅力も少しは。。。その。。。。。
他の大名でもこの位のことはやってると思います!
ただ直家さんの場合は全部表に出ちゃってるというか。。。
裏表がないんです!自分に正直なんです!
そして自分の保身の為の極度の心配性!
これでフォロー出来ましたかね。。。。w
何にせよこの清々しいまでの"悪どさ"は
他の大名にはない魅力は十分に備えていますよね。
投稿: 勝元 | 2013年1月10日 (木) 16時41分
>でし様
コメントありがとうございます!
だまし討ちや暗殺でのし上がったのは、直家だけではないのですけどね。
これはこれで、ある意味人間らしいと言えなくもないのかなと思いますし、
名将の判断という事にもなるとは思います。
今後共、よろしくお願いします!
投稿: 作者 | 2012年12月28日 (金) 22時08分
ついに宇喜多直家来ました(^O^)
やりたい放題ですが幼少期の悲惨さを考えると謀略を多用する性格になるのは仕方なくもない?と
『孫子』にも合戦より知略で戦わずして勝つが上策とありますし…合戦だけが戦国時代の全てではないですね
投稿: でし | 2012年12月27日 (木) 22時42分
>bad.Ⅳh-95様
コメントありがとうございます。軍記物等の逸話レベルでは、陰惨な事は全て直家の仕業、
というくらいの扱いのようですね。自家防衛の手段に戦争を選ばなかった、とすれば、
我々から見れば名君なのかも知れません。今後ともよろしくお願いします。
投稿: 作者 | 2012年12月23日 (日) 07時08分
直家さんは「戦国デスノート」扱いされていますが、いろいろ
ネタサイト、例えば「戦国ちょっといい話・悪い話」なんかをみ
てると、領国を守るため、暴走しまくった迷君の様な気がしてきま
した。
投稿: bad.Ⅳh-95 | 2012年12月22日 (土) 14時56分
>三楽斎様
コメントありがとうございます!
真偽のほどはわかりませんが、こんな逸話が残っているというのが恐すぎますね。
本編でも異常…ではなく異能を発揮しているので、是非御覧ください。
今後とも、よろしくお願いします。
投稿: 作者 | 2012年12月 5日 (水) 19時19分
新作紹介きてたー
実の兄に対面するのに鎖帷子が手放せないU喜多忠家さんカワイソス。
投稿: 三楽斎 | 2012年12月 4日 (火) 22時34分
>co様
早速のコメント、ありがとうございます!
そして、こちらも間違い箇所を直しました。ご指摘ありがとうございました。
本当に、史料を読んでいて、途中から笑えないレベルでした。
いつもより雰囲気の違う話かもしれませんが、本編の方も是非ともよろしくお願いします!
投稿: 作者 | 2012年12月 3日 (月) 21時31分
更新きてたー!
いきなりの遺影の数々に吹き出してしまった笑
謀将って呼ばれる人は数多いですけど、この人ほど手段選ばない人はいないですよね
あ、秀家と忠家が混在してますけど忠家が正解ですよね?
投稿: co | 2012年12月 3日 (月) 20時32分