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2012年6月 1日 (金)

歴史魂vol.7「戸沢盛安」予告

~盛安以前の戸沢氏~

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……傑物・盛安の活躍は……


6月6日発売の歴史魂vol.7で!!



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今回の人物を描くにあたっては、
「家紋World」様の記事を参考にさせて頂きました。
その旨を管理人様にお伺いしたところ、
承諾を頂けましたので、とても助かりました。
おかげ様で有意義な執筆ができました。
この場でもって、改めて御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
家紋World様は、私などが紹介するまでもないくらい
有名で歴史のあるサイトですが、
戸沢氏に関しての記事はこちら
もちろん、他の大名家の記事もとても詳しくて本当に凄いです。





【お知らせ】


単行本所収作のうち、ブログで発表した作品を一部復活させました。
佐竹義重(2012.03.07)
武田四名臣(2012.04.06)
竹中半兵衛
(2012.05.07)
伊達輝宗(2012.06.09)
こちらもよろしくおねがいします。




<武将FILE>

Shimadu_yoshihiro

島津義弘(しまづ よしひろ)

島津貴久の次男。祖父の忠良が「雄武英略に傑出す」と評したと伝えられる、勇猛果敢な武将だった。木崎原合戦、耳川合戦、泗川篭城戦など、常に自軍に数倍する敵を破った。
木崎原の戦いは、伊東義祐率いる三千人の軍勢にわずか三百で翻弄して勝利し、「九州の桶狭間」と称された。朝鮮役では、戦役終盤の大規模な海戦「露梁海戦」で敵将・李舜臣を倒し、日本軍の海路撤退に貢献した。そのため、朝鮮では加藤清正の「鬼上官」と並んで「鬼石曼子(しーまんづ)」と呼ばれ長く恐れられたという。
その反面、激戦を繰り広げた地には、後に供養塔、慰霊塔を建立し戦没者を弔い、また戦陣にあっては常に家臣と寝食を共にしたというやさしさを持っていた。そのため今も、彼の勇名は不朽のものとなっている。


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島津豊久
(しまづ とよひさ)
義弘の弟、島津家久の子。父が龍造寺隆信を討ち取った「沖田畷の戦い」で初陣を飾る。
秀吉の九州征伐で島津氏が降伏した直後、家久が急逝したため、若年ながら父の遺領を継いで日向佐土原城主となった。この後は伯父の義弘と共に朝鮮役等で武功を重ね、義弘ゆずりの勇猛な武将に育っていった。
関ヶ原戦時も、義弘と共にあったが、諸将の足並みの悪さに苛立ち、陣頭にあって不戦の姿勢を貫いた。石田三成からの出撃要請を拒否し、使者に銃撃を加えて追い払ったという。
関ヶ原の雌雄が決すると退却戦を決行し、追いすがる井伊直政隊と激突、義弘を逃がすために烏頭坂付近で壮絶な討死を遂げる。享年30歳というのは、父の没年よりもさらに若かった。


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中馬大蔵(ちゅうまん おおくら)
島津義弘の秘蔵の家臣として、義弘から非常に愛された名物男であった。市来郷地頭の組下にあったが、上司に反抗し蟄居を申し渡された。しかし直後に起こった文禄の役に、義弘は彼を呼び出して戦線に復帰させ、中馬も勇んで目覚しい働きをしたという。1600年、東西手切れ・開戦と知ったときは中馬は薩摩にあり、農事に勤しんでいたが、おっとり刀で関ヶ原を目指し走りだし、野良着のままだったため、後から来た朋輩の甲冑を奪って駆けに駆け、とうとう義弘のもとに馳せ参じたという逸話がある。彼以外にも主君の急を知り、薩摩から参陣した兵が、退き口の主力であったのは言うまでもないが、中でも彼の義弘への忠義は非常なものだったようだ。




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柏木源藤
(かしわぎ げんとう)
退き口の戦いで、追いすがる井伊直政を狙撃し重傷を負わせ、義弘の退却を成功せしめた人物として有名であるが、撃ったときは「川上四郎兵衛が討ち取ったり」と、主君の名で名乗りを上げたというくらい身分は低かった(また一説には、井伊直政を撃ったのは、大野正三郎だとする記録もあったりするという)。なんにせよ、この戦いに従軍し、帰還したことに確かで、その功により恩賞に与ったのだが、その後は零落し、放浪の旅に出て、そのまま帰らなかったという。これは自分が撃った井伊直政の死を知り、それを哀れみ出家したのだと言われている。当時直政は敗将の島津家の赦免運動を担当していたので、その直政がいなくなっては、主家の再興は図り難しと責任を感じてしまったのかもしれない。



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井伊直政
(いい なおまさ)
徳川四天王の一人だが、三河時代からの譜代ではなく、井伊家はもともと今川氏の家臣であった。直政の生まれた当時は井伊家が零落していたのを家康に見出されると、メキメキと頭角を現し、武田氏の旧臣の多くで構成された赤備え部隊の指揮官に任命された。この精鋭部隊をもって、小田原役では猛勇を奮ったと伝わる。関ヶ原戦では、福島正則が先鋒にもかかわらず、娘婿の松平忠吉を伴い最前面に布陣し、開戦の口火を切った。合戦終盤になると退却を図る島津軍と激突、右腕を負傷する不覚を取った。しかし戦後、この島津の戦いぶりに感嘆し、講和交渉を積極的に受け持ったと言われる。療養もそこそこに、戦後処理と幕府創設に奔走したが、ついに退き口での傷が因で、1602年に死んでしまう。政・戦・外交、あらゆる分野で非凡な能力を持った武将であった。

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コメント

>bad.Ⅳh-95様
コメントありがとうございます。
旅先の車中で飲み食いすると、なんでも余計に美味しく感じますね。
今後共よろしくお願いします。

投稿: 作者 | 2012年6月16日 (土) 12時08分

 まさか、と思っていましたが、新作ktkr。

ところで、新幹線ホームの売店で売っているカツサンドは、なんであんなに美味しいんでしょうか。

投稿: bad.Ⅳh-95 | 2012年6月14日 (木) 23時14分

>でし様

コメントありがとうございます!自分も盛安に惹かれたのはまずもって「夜叉九郎」の異名でした。
それからこうして漫画に出来て、自分も嬉しく思っています。どうかこれからもよろしくお願いします。

投稿: 作者 | 2012年6月13日 (水) 22時48分

『歴史魂』にて戸沢盛安を読みました。
ちょっと前に読んだ本で異名の「夜叉九郎」も紹介されていて興味が湧き色々と調べてた所に大久保先生の漫画で読めて嬉しかったです(^O^)

投稿: でし | 2012年6月13日 (水) 09時44分

>masa様

コメントありがとうございます。今回は特に資料探しに奔走しましたが、
家紋World様の記事がとてもまとまりが良くて、最も考察の助けとなりました。
後は「小野寺盛衰記」がとても良い本でした。
なにはともあれ、今後共よろしくお願いします。

投稿: 作者 | 2012年6月 2日 (土) 14時45分

今回は戸沢盛安ですか。
私の地元が大仙市で角館まで近い距離なので
郷土の豪族が取り上げられるのは嬉しいものです。
実際、戸沢盛安は夭折しているので、あまり細かい記述がないんですよね・・・

投稿: masa | 2012年6月 2日 (土) 12時05分

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