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2010年10月24日 (日)

オマケの伊達成実

Omake_no_shigezane101024

ぼんやりしてたら思いついたので描きかました。ともかく、今後ともよろしくお願いいたします。

※10/31追記※

伊達政宗(下)の武将FILEがまだだったので、ここに追加しておきます。

<武将FILE>

茂庭綱元(もにわ つなもと)

Tsunamoto_5

鬼庭良直の嫡男。輝宗に仕えたが後政宗付きとなり、
やがて片倉景綱、伊達成実と共に「伊達三傑」と称される重臣となる。朝鮮役では伊達家独自の兵站線を確保し、戦地での物資窮乏を防いだという。能吏のイメージが強いが、人取橋合戦で父・良直を討った窪田十郎が捕らえられた際、「虜囚を斬るは士道にもとる」と言って釈放した。後には窪田の請いを容れ家臣
にしたほど、寛仁大度の好漢であった。
長命して1640年、92歳で死去。

川村重吉(かわむら しげよし)

Shigeyoshi_4 

通称は孫兵衛。元は毛利家の士だったが、主家が関ヶ原後に大幅に減封された為に浪々の身となる。その時政宗の目に留まり、出仕すると、賜った土地をたちまち美田に開拓、その才をもって北上川の治水工事を主導の任に就き、石巻港を拓く。他にも利水・土木の功績が多く、仙台藩が東北最大の雄藩と呼ばれるに値する基礎を築いた名臣である。

ルイス・ソテロ

Sotelo_3

フランシスコ会の宣教師。1600年にフィリピンに渡り、日本語を学び1603年に来日し布教に努める中、政宗に会い互いに接近、遣欧使節の正使として渡欧する。使節正使の任が解かれた後の1622年、再び日本での布教の為に密入国したものの捕らえられ、火刑に処せられて殉教。この際にあって、政宗は助命嘆願をしたというのは、二人の関係の親密さを物語っているようである。

支倉常長(はせくら つねなが)

Tsunenaga_2

六右衛門。自身は長経と名乗っていた。1613年、政宗の命を受けて、遣欧使節の副使(正使はルイス・ソテロ)として、通商交渉の為に太平洋を越え、メキシコを経由してスペインへ渡るが、交渉は成就せず、同じような航路で1620年帰国。日本では禁教令が強化されたため、使節派遣それ自体がひた隠しにされ、さらには支倉家は1668年まで断絶されてしまう。彼ら使節団は、政治的成功は得られなかったが、世界史的には特筆されるべき壮挙であると言えよう。

酒井忠勝(さかい ただかつ)

S_tadakatsu_2

初代川越藩主・酒井忠利の子。三代・家光から四代・家綱のころの幕府老中。特に家光に無二の忠誠を誓い、家光に「我が右手」とまで言われる程の信任を得る。土井利勝とともに幕府初期の政治を牽引し続け、幕府初の大老となる。

本多正信(ほんだ まさのぶ)

Masanobu_2

佐渡守。徳川家康の鷹匠となったのが出仕の始まりと言われている。1563年の三河一向一揆では家康から離反し、一揆平定後は諸国を流浪したが後帰参、以後は家康の謀臣として、「水魚の交わり」とまで言われるほど重用された。
徳川幕府が成立すると、二代将軍・徳川秀忠の顧問的立場となり政治を後見した。数々の悪謀を企て立身し、晩年までその威勢は非常なものだったが、所領は相模玉縄二万二千石と少なく、本人も加増を固辞するという謙虚さ、潔さを持っていた。1616年4月に家康が死去すると、同年6月に後を追うように没した。

徳川家康(とくがわ いえやす)

Ieyasu_2

竹千代と呼ばれた幼少期を、織田家や今川家の人質に出され、成人後も今川家に隷従を余儀なくされた。桶狭間で今川義元が滅ぶと、織田信長の同盟相手となるも、過酷な任務ばかりを押し付けられたが、その都度非凡な将器を発揮して地保を固める。
豊臣秀吉が天下と統一すると五大老筆頭として政権運営を補佐し求心力を得、秀吉没後は強力な家康党を形成して関ヶ原合戦で勝利し、1603年、征夷大将軍となり徳川幕府創設、戦国時代を終焉させた。

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コメント

>masa様

コメントありがとうございます。
私は輝宗拉致を防げなかった事に責任を感じて出て行った
という理由だったらカッコいいなと思うのですが、全然時期が違いますね。
綱元含め、諜報目的だとしたら、
重臣中の重臣を斥候に使うあたりの政宗の大胆さが面白いなと思います。

今後とも、よろしくお願いいたします。

投稿: 作者 | 2010年10月28日 (木) 21時23分

管理人 様

おまけおもしろいです。
伊達成実出奔に関しては諜報工作であったり、本当に喧嘩して
出て行ったり様々な説がありますね。

鬼庭(茂庭)綱元の出奔も諜報工作だった説があるみたいですから
意外と重臣を離反させる策だったのかもしれませんね。

投稿: masa | 2010年10月27日 (水) 23時28分

>co様

コメントありがとうございます!
この二人が無性に描きたくなるのでつい追加しました。
情勢的に、政宗が指図して潜伏させたって考え方もあるようですね。

そしてご指摘ありがとうございます!近日中に直しておきます。
書きなれない漢字は書くものじゃないです。。
ともあれ、今後ともよろしくお願いします。

投稿: 作者 | 2010年10月25日 (月) 19時51分

おぉ、新作が!
政宗(上)の時の凛々しい姿に比べてなんたるくすぶりっぷりw

出奔も秀吉の目を欺くための政宗の策略だったりして…
「いやあうちも主力が出奔しちゃったりで組織がゴタゴタなんで反乱なんかとてもできませんよハッハッハ」
みたいなw


あ、5コマ目の「不貞腐され」の送り仮名がちょっと違和感あります(不貞腐れ?)。ご検討下さるとうれしいです。

投稿: co | 2010年10月25日 (月) 07時17分

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