« ありがとうございます | トップページ | あけましておめでとうございます »

2009年11月28日 (土)

伊達輝宗

【お知らせ】

ブログ初出の作品で、単行本所収の分を再掲載します。(2012.06.09)

                                                                 

かなり妄想多めです…。
Terumune_01_re Terumune_02 Terumune_03 Terumune_04 Terumune_05

小手守城の撫斬りや、粟之巣の変(高田原の変)という誘拐未遂事件は、史料によって経緯がバラバラで、どれが本当なのかわからないのですが、一番劇的なものを採用しました。

                                                                                                                                                                                                                               

<武将FILE>

Terumune_fase_2 伊達輝宗(だて てるむね)

伊達家16代。

遠藤基信(作中の彼のセリフにあった遠藤とはこの人物)を、陪臣から伊達家の宿老に抜擢したり、片倉景綱を政宗の傅人に、名僧・虎哉宗乙を学問の師につけたりと、人物を見る眼は鋭かったようである。
何代も続く婚姻政策で、しがらみの多い奥羽の大名間の関係にあって、遠交近攻策を的確に行い手堅く領国を維持、代替わりごとにお家騒動を起こす不穏な伊達家中をまとめ得たのは、粟之巣の変時に見せた果断のような「凄み」が、穏やかな中に垣間見られたからであろう。
彼の死により、遠藤基信はじめ、多くの家臣が殉死したという。

Nihonmatsu 二本松義継(にほんまつ よしつぐ)

二本松畠山氏15代当主。左京亮。
奥州探題であった畠山氏の流れをくむ名家中の名家であったが、戦国期には衰退、伊達政宗の登場でさらに領地を減らされ、滅亡の憂き目に遭い、輝宗拉致という暴挙に出てしまう。
政宗の銃撃によって、輝宗共々討たれたという説もあるが、拉致に失敗し進退窮まり、輝宗を刺して自らも自刃した、という方が名家としての誇りが感じられよう。

いずれにあっても、その遺体は伊達家臣が切り刻み、その後藤蔓で継ぎ合わせて晒されたという。

Yosi_hime 伊達義(だて よし)

伊達輝宗の正室にして政宗の生母。伊達家のライバル、最上家が実家で、兄の最上義光(もがみ よしあき)は、「出羽の暁将」といわれた名将。彼女は伊達家に嫁いだ後もこの兄と文書を交わすほど仲が良く、そのために政宗を毒殺しようとしたなどの話が残され、伊達氏側からの印象は良くない。

しかし、義光と政宗が争い、政宗が窮地に陥ったとき、彼女は両陣の間に割って入り、80日間も居座り、ついに両軍を和睦せしめたという逸話もあるので、彼女なりに両家の融和を願って色々と画策していたのではないだろうか。

Daizen_masamune 伊達政宗(だて まさむね)

伊達家九代当主。大膳大夫。室町幕府初期の武将で、鎌倉公方(足利幕府の関東統治のための出張政府だったが、中央政府と対立、将軍と同義の「公方」を称した)の奥州への干渉に反抗、見事に撃退し勢力を安定させた。以後は伊達家中興の祖と仰がれる。

武勇だけでなく、和歌の才も卓抜しており、それによって北辺にあっても足利三代将軍義満のおぼえがめでたく、後には彼の歌は新続古今集の勅撰を受けるほどであったという。

|

« ありがとうございます | トップページ | あけましておめでとうございます »

歴史」カテゴリの記事

コメント

>岩付在住。様
描いた甲斐がありました、ありがとうございます。
これからも是非是非、よろしくお願いいたします。

投稿: 作者 | 2009年12月 6日 (日) 22時46分

ぐっときました。

投稿: 岩付在住。 | 2009年12月 5日 (土) 01時39分

>masa様

毎度ご感想ありがとうございます!
輝宗の業績について、もっとちゃんと
取り上げていくべきだったなあと、
やや後悔しておりますが、しかしながら、
それにつき、火間虫入道様がとてもわかりやすい解説を書いて下さっており
(http://hima.que.ne.jp/logcp/log200911b.shtml#20091128)、更に勉強になりました。
この場をもって、火間虫入道様にもお礼申し上げます。

「斜め上」との事でしたので、そろそろ予想どおりのものがアップとなるかもしれません
(川村重吉ではないとは思いますが)。

何卒今後とも、ご愛顧よろしくお願いいたします。

投稿: 作者 | 2009年12月 2日 (水) 22時24分

2連続で伊達関連を描かれるとは私の予想の斜め上を管理人様行かれました(笑)

伊達輝宗は祖父「植宗」父「晴宗」息子「政宗」と比べるとどことなく印象に薄いように見えますが、天文の大乱で疲弊していた状態の伊達家で相馬、最上、四面に囲まれた諸豪族と互角以上に戦い、政宗飛躍の礎を作った人物として名君だと考えます。

また、片倉景綱など政宗を支えた家臣を早くから近習に置くなど人を見るのに優れた人材だったと思います。(政宗も鈴木元信や川村重吉を取り立てたりしてますね)


もし伊達関連をまた描かれるようであれば「川村重吉」の治水事業を妄想してもらいたいです
(笑)

投稿: masa | 2009年11月29日 (日) 19時23分

ご感想、ありがとうございます。
伊達輝宗にもっとスポットを与えるべく
制作したつもりでしたが、「プレ政宗」な感じでした。
ともあれ、私の作品の輝宗に、暖かさを感じていただけた事は
大変嬉しいです!今後ともよろしくお願いします!

投稿: 作者 | 2009年11月29日 (日) 10時34分

始めまして、いつも楽しく見させてもらってます。
今回もまた素晴らしいまとめで凄く楽しいです^^
18歳という若さで父殺しをしてしまった政宗
誰かに慰めて欲しい、話を聞いて欲しいという願望もあったでしょう
ですがそういう弱い部分は部下には見せれず
”強い殿”を維持する為
いつまでも"やんちゃ"をやってたんじゃないかなぁ
って想像しちゃいました。
輝宗さんの父親らしさも凄くでていて
なんだか切なくも強さ、暖かさも感じました~

投稿: | 2009年11月28日 (土) 17時24分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/474160/32397080

この記事へのトラックバック一覧です: 伊達輝宗:

« ありがとうございます | トップページ | あけましておめでとうございます »