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2009年4月25日 (土)

武田四名臣

【お知らせ】

ブログ初出の作品で、単行本所収の分を再掲載します。(2012.04.06)

                                                             

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Katsuyori 武田勝頼(たけだ かつより)

信玄と側室である諏訪御料人(すわごりょうにん)の間に生まれる。
武田家二十代当主となったとされるが、信玄は自分の後継を勝頼の子である信勝に指名し、信勝が成人するまで勝頼が代理するというシステムだったとも(甲陽軍艦)言われる。
この伝を信じれば、勝頼が権力を確立しようと躍起になりすぎ、重臣たちはあくまで勝頼を後見人としか見ず、軽んじたという推測ができ、この組織事情のために一見無謀に見える長篠合戦が行われたという風に想像しやすい。

Minbu 馬場信房(ばば のぶふさ)

信玄の父の信虎の代からの武田家臣。信玄の初陣から側におり、信玄家督後は重臣中の重臣となる。「一国の太守たる器量人」と称せられるほど、軍・政両面に精通していた。
勝頼の長篠出戦には強硬に反対したが、敗色濃厚となると殿軍を引き受け、勝頼を守り討死した。この時までに70余度の合戦に出たが、かすり傷一つ負わなかったという。

                                                                                    

Masatoyo内藤昌豊(ないとう まさとよ)

はじめ工藤姓。昌豊の父は信虎に誅され没落、諸国を流浪したという。信玄が家督を継ぐと呼び戻され、名族である内藤氏の名跡を賜った。上杉・北条・武田の三つ巴状態だった上野(群馬県)地方の司令官として大健闘。山県昌景は、「武田信繁(信玄の弟、第四次川中島合戦で戦死)と並ぶ、武田の副将に相応しい人物」と激賞した程の逸材。信玄もその功績を認めていながら、一枚の感状も出さなかったが、昌豊は不平を言わなかったという。武功の有無で主従の信頼が揺らぐような関係ではなかったのである。

Masakage山県昌景(やまがた まさかげ)

信玄が特に信用した股肱の臣。
昌景の兄・飯富虎昌(おぶとらまさ)が謀反を企てた(義信事件)のを、いち早く信玄に報告した事から立身したという暗いデビューであったが、後は「彼の赴くところに敵なし」と言われ、諸国でも有名な武将に成長し、三方ヶ原合戦では徳川家康に死を覚悟させる程にその軍勢を痛破したと言われる。
容貌は冴えなかったと特に記録が残っているのは、一個人での槍の功名に長けていたのではなく、抜群の戦術・用兵家として恐れられていた事の証左となろう。

Masanobu 高坂昌信(こうさか まさのぶ)

弾正忠(だんじょうのじょう)。
春日虎綱(かすが とらつな)の名の方が史料で多く確認でき、高坂姓は一時的に名乗ったにすぎないと言われている。
慎重な采配と、退却戦での巧妙な指揮ぶりから、「逃げ弾正」の異名を取る。長篠での敗戦からは宿敵の上杉氏と同盟を結ぼうと運動したと言われ、このような現実的な政略眼は、正に逃げ弾正の面目躍如たる所である。
若年の頃は、信玄の衆道(同姓愛)の相手であった事は有名。信玄が他の小姓に浮気した事についての詫び状が現存している。

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コメント

>カルチョ様
再度のコメント、誠にありがとうございます。
セリフとかは「花の慶次」等を読んで勉強したのが実ったようです。
山県昌景は、ご指摘のように、ちょっと若々しく描かれてしまってますね。
歿年齢は46、7だったそうですが、この辺の歳の人は描くのが難しいです、楽しいのですが。

次回作は鋭意制作中であります。もうしばしお待ちください。これからもよろしくお願いします。

投稿: 作者 | 2009年5月 5日 (火) 12時58分

長宗我部元親の感想を書かせてもらった者です。今回はHN入りで・・・。
四名臣カッコイイですね。勝頼のバカ殿描写は私もちょっと気になりましたが、意図的にそういう描き方をされているんだと思って読ませてもらいました。
大げさかもしれませんが、絵の上手さだけでなくセンスの様な物を感じています(キャラのデザインやセリフ等)。
次回作を心待ちにしております。
追記:山県昌景が若すぎる様な・・・当時はもう50近い年齢だったのでは?

投稿: カルチョ | 2009年5月 5日 (火) 00時29分

そうですね。今回は悲壮美のあるお話になったのが、とてもくすぐったかったので、
ついつい勝頼公には過度に道化を演じてもらいました。
次作を描く時からは、もっと考えてやろうという、良い指針になりました。ご閲覧くださりありがとうございました。是非またいらしてくださるようお願いいたします。

>masa様
連休に突入しましたので、割と短時日に次作が発表できる…かも知れません。
毎度の如く、あまり期待はなさらずごゆるりとお待ちくだされば幸いです。コメントありがとうございました。

投稿: 作者 | 2009年4月28日 (火) 22時30分

勝頼をただのバカ殿扱いはしてほしくなかったですなぁ。個人的には。

投稿: | 2009年4月28日 (火) 20時04分

新しい切り口で描かれる作品は見ていて「なるほど」と思わせるものばかりでただただ驚きを隠せません。

マイナーな人物にスポットライトを当てると思っていたところで武田四名臣が来るとは思っても見ませんでした(笑)

次回の更新も楽しみにしております。
お忙しいとは思われますが(笑)

投稿: masa | 2009年4月27日 (月) 10時50分

ご感想、ありがとうございます!次作への意欲が更に高まります。
今後とも是非閲覧くださいますよう、おねがいいたします!

投稿: 作者 | 2009年4月26日 (日) 11時43分

漫画、とても面白い!
読みやすい、わかりやすい、そしてかっこいい。
絵もとても綺麗で好きな絵質です。
今までここ知らなかった自分が不思議だ…
次の更新を楽しみにしつつ応援させて頂きます!

投稿: | 2009年4月25日 (土) 22時56分

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