加藤清正と福島正則
白黒だし、いろいろすみません。兄弟じゃないし、清正の方が年下だけど、顔は現代ロック界で有名な仲良し(?)兄弟をモチーフにしてみたのですが、あまり似てないですね、すいません。
<武将FILE>
秀吉の叔母の子。幼名は市松(いちまつ)。1583年の賤ヶ岳合戦で一番首を獲り、七本槍の筆頭に数えられる手柄で出世、豊臣系大名きっての武断派として秀吉政権下で重きをなす。勇猛だが分別に欠け、知恵才覚だけで秀吉に重用されている石田三成を嫌うあまり、関が原合戦では即座に東軍につき、徳川家康を勝利に導く。戦後は幕府から疎まれ、何かと因縁をつけられて没落。
虎之助(とらのすけ)と呼ばれた幼い頃から、秀吉の家で育つ。正則と共に賤ヶ岳合戦で七本槍の武功を立てる。文禄・慶長の役(朝鮮出兵)では虎狩りをしたという程の剛の者だが、築城術に非凡な才能を見せ、居城の熊本城の他、名古屋城など、現代でも有名な城の設計を手がけた。
謹慎中にも拘わらず、大地震の直後いち早く秀吉のもとに侍したという「地震加藤」の逸話で知られる程、豊臣家第一主義の忠節を尽くしたが、大坂の陣勃発直前に死去。毒殺の噂まで出た。
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