2020年6月27日 (土)

最近描いたモノ

Igapapa_200531



Igadaughter_200531

篠塚伊賀守と伊賀局親子

堀端の橋を撤去して、籠城している足利勢に対し、
篠塚は傍らの大卒塔婆を引き抜き橋替わりにして切り込んだという。
娘の伊賀局は、高師直軍から逃げる途中、橋が壊れていたので、
松や桜を折って渡し、無事賀名生へ落ち延びた。同じような逸話を持つ親子である。






Sasakibros_200606
佐々木盛綱と高綱兄弟
佐々木高綱は、梶原景季と宇治川で先陣争いをした時、
景季に「馬の腹帯が緩んでるぞ」と騙して先行、
川底に張られた綱を切りながら進み一番乗りとなった(平家物語巻九)。
兄の盛綱は、藤戸の戦いで現地の漁師に浅瀬の場所を聞き出すと、
口止めに斬って戦功を上げた(平家物語巻十)。似た者兄弟。
軍記物語に真面目になっても仕方ないのだけど、当時の武士らしい武勇譚とはいえ、
宇治川の方の梶原景季は、高綱の注意に従うし、先を越されても
「川底には綱が張ってあるから、馬の脚を取られないように気を付けろ」
と忠告した景季のほうが絶対良い奴だと思う。だから失脚しちゃったのかもしれないけど。



Gentakagesue_200614

梶原景季
生田の森の戦いで、梶原景季と父景時は、敵陣深く斬り込んだ弟景高を救出した。
すると今度は景季が危機に陥ったので、景時は再び突撃して景季を救った(平家物語巻九「二度之懸」)。
源平盛衰記では、景季はこの時、箙に梅の枝を挟んで奮戦し、平家の公達から称賛されたという。






Hatatokiyoshi_200620

畑六郎左衛門
足利方の大軍勢に囲まれた鷹巣城に籠る畑時能は、夜になると愛犬の犬獅子を敵陣に忍び込ませた。
犬獅子は、警備が厳重な場合は吠え、油断していれば尾を振るのを合図として、夜襲をかけて
散々に悩ませた。敵も根負けし、酒肴を与えて退散してもらったという(太平記巻22)






Yamadanagamasa_200627

山田長政
関ケ原合戦で乱世の終焉を感じ、一旗揚げるべくシャム(現タイ王国)のアユタヤへ渡り出世した。
国王に重用されだが、それ故に王朝の政争に巻き込まれ暗殺されたという。
長政が当地にいた日本人武士を率いて義勇兵として活躍したからか、日本刀は王朝の重宝として珍重された。







| | コメント (1)

2020年5月27日 (水)

最近描いたモノ

いくらかたまったので、以下にまとめておきます。




Yarihanzo_200425


槍半蔵・渡辺守綱

渡辺守綱は、武田軍との戦いで退却する際、手負いの近藤伝次郎に頼まれ、
持っていた手柄首を捨てて、近藤を担いで退いた。
これを聞いた主君の家康が「七度槍を合わせるよりも優れた武功である」と褒めたので、
以後「槍半蔵」の異名を与えられたという逸話が『常山紀談』にある。
また、こののち守綱は、「あのとき、自分でなければ彼を助けずに斬って棄てていただろう」とも語ったともある。






Nakanotakeko_200504
中野竹子

能書家で歌道に明るい中野竹子は、薙刀の名手でもあった。
会津戦争では同志と共に婦女隊を結成し、旧幕衝鋒隊に加わる。
城下に迫る官軍に遭遇し勇猛に戦うも、銃砲の前には抗しきれず戦死した。
薙刀の柄には「もののふの猛き心にくらぶれば数にもあらぬ我が身ながらも」の辞世をつけていたという。






Amagotango_200505

【鉄黒漆塗二十八間阿古陀形兜】

「謀聖」と謳われた名将・尼子経久が、出雲佐太神社に奉納したと伝わる兜。
大きな梶の葉の前立てがとてもカッコいい名品。





Sakaifamily_200509

酒井忠次と家次父子

【鼻紙袋】鼻紙入れとも。当世具足の胴の左の脇に付く袋。
鍔当を兼ねて小物入れとして使う(小田原城天守閣甲冑展「小田原城武者揃え」図録より)。
酒井忠次と家次父子の所用と伝わる具足には、両方とも鼻紙袋が付いている。







Kurodanagamasa_200517

【一国長吉】
黒田長政が筑前を拝領し、一国の太守となった時、初陣から愛用してきたという槍に「一国」の名を付けた。
長政にとっては感慨の深い一品のようだが、他にも沢山、筑前黒田家には宝や名物があるのを忘れてはならない。






Kanzaemon_200523

【通し矢】星野茂則
星野勘左衛門の名で有名。
三十三間堂の廊下で、夜通し弓を引き続けて、堂の軒下約121mを、
何本の矢を射通せるか競う「大矢数」で、勘左衛門は八千本の記録を立て、
天下一(惣一ともいう)の称号を得た。
江戸時代初期に流行したこの競技は、超人的な記録の更新が相次いだ。














| | コメント (1)

2020年4月18日 (土)

最近描いたモノ

Toranosuke_200415



加藤清正
言わずと知れた、熊本城の築城者。





Matsudairafumai_200326
松平不昧
茶人として有名ですが、松江藩中興の祖として地元では愛されています。
財政を再建させたものの、趣味に散在して再び悪化させたという話があるのですが、
実際はそんなことはなく、彼の代でやっと借金を整理して返済の目処をつけられたという事であり、
依然借財は大きかったものの、不昧のおかげで、松江藩は長い年月をかけて完済しています。
若い頃は、管槍という、刺突が素早く行えるように工夫された槍を習い、免許を得ています。

Tokimune_200405
北条時宗
蒙古の襲来を乗り切った執権・北条時宗は、得宗家の嫡男として11歳で元服、婚姻、
その祝いの席で急遽父の時頼から小笠懸(笠懸の馬場を逆走して的を射る競技。
馬の右側から的を狙うので、笠懸、流鏑馬とは真逆になる)を行うよう指示され、
一度は失敗したものの、再び挑んで見事に的中させて、そのまま自邸へ帰るという
爽やかな活躍をしています。幼少の頃からプレッシャーに耐える器量の持ち主だったと言えるでしょう。

Tametomo200409
源為朝
江戸時代に出来た源為朝を主役にした『椿説弓張月』では、
伊豆に流された為朝が、疱瘡の疫病神を退治した話があったことから
「為朝ここにあり」などと描いた紙を玄関の軒に張り付けておくと
疱瘡にかからないという風習が生まれたと言います。
鍾馗なども同じように、疫病退散の象徴としてもてはやされましたが、
いずれも子供の健やかな成長を願うものと考えられています。

001


002




| | コメント (1)

«最近描いたモノ